江戸時代の文久3年(1863年)ごろに、現在の葉山町あたりに足袋屋として誕生しました。
店の名前は「相刕屋源兵衛(そうしゅうやげんべい)」。
「相刕屋(そうしゅう)」は地名、「源兵衛(げんべい)」は創業者の葉山源兵衛の名前から取りました。
相刕(そうしゅう)は現在の漢字で「相州」と書きます。
「相州」は別名、相模国(さがみくに)と呼ばれ、現在の神奈川県にあたる地域の呼び名でした。
時代の流れと共に、「相刕屋」は消え、創業者の名前「げんべい」だけが現在に受け継がれています。
「相刕屋源兵衛」のロゴは「┓」に「サ」の文字を描いたもので、“カネサ”と呼ばれています。
「┓」は曲尺(かねじゃく)というL字型の物差しを表し、「まっすぐな商売」を意味するとともに、「カネ=お金」にも通じる縁起物です。
江戸時代の屋号には「カネ」以外にも「マル」「ヤマ」「カク」「ヒシ」などがありました。
現在のロゴである「マルげ」に使われている「マル」にも「間違った商売をしない」「すべて丸く収まる」といった意味があり、げんべいの商売理念に通じています。
「カネサ」の「サ」は、地名「相刕(そうしゅう)」の頭文字から取られたものです。
当時の表記は「さうしう」で、「サ」が頭文字となっていました(これを歴史的仮名遣いといいます)。
江戸から明治にかけて西洋文化が広まり、足袋や草履を履く人が減少。
源兵衛も時代の流れに合わせて、足袋職人からよろず屋へと業態を変更します。
よろず屋とは、衣服や日用品などを扱う雑貨店で、当時のスーパーやコンビニのような役割を果たしていました。
現在も一色店の奥には日用品売り場があり、当時の名残を感じることができます。
そして昭和に入り、1955年(昭和30年)にビーチサンダルの販売を開始。
開発元の内外ゴム株式会社の記録によると、げんべい商店は国内でも極初期から販売していた店舗とされています。
江戸創業から160年、ビーチサンダルを届けて約70年。
これからも末長く、げんべいをよろしくお願いいたします。